(2) そして、その後の運命

 さて、僕ら京大医学部生はこのままの姿でいいのでしょうか?

 このまま僕らが大学病院医師になれば、研修医時代に総合的な臨床能力を身につけることもなく、ひたすら専門性の世界へ突入していき、それなりに患者さんと接しながら、自分の研究も進めつつ、何となく自分の居場所(あわよくば教授、はたまた、一般病院の管理職ポスト。場合によれば、開業医。)が決まっていくことになるはずでした。少なくとも今までは。

 それに、これまでのように、医者が高給をもらって職にあぶれることもなく、どのような医療を提供しようと患者さんは平身低頭して「お医者様」とありがたがる時代ならば、まさにそのような生き方でも大きな問題は起こらなかったでしょう。  しかし、次の(3)で述べるような今の医療の変化を踏まえると、この生き方は大きく揺らいでいくように思われます。 。

(3) 21世紀に生き残る医者とは?

 時代は変わろうとしています。医者が不足している時代はとうに過ぎ、今では医者数は都心部では過剰気味で地方ではやや不足した状況です。つまり、大学病院では過剰で、地方の中小病院ではやや不足しているということです。(あくまでもおおざっぱに…。21世紀初頭には医者はかなり過剰になるというデータもある。)しかも、患者さんが、より良い医療を受けるために病院や医者を選ぶ傾向は強まっていますし、「医療の消費者」として医者や病院にはっきりと不満をぶつける患者さんも少数ですが徐々に増えてきています。つまり、良いものは良い、悪いものは悪いという当たり前の状態が来つつあるのです。

 と言うことは、僕らが外で食事をとるときに、「おいしくて、安く、愛想の良い店」を当然選ぶように、患者さんも「正しい医療を提供し、コストもなるべくかからない、対応の良い医者」を選ぶことになるはずです。例えば、自分が病気になったとき、どんな医者にかかりたいか考えてみれば納得できるでしょう。元気なときならいざ知らず、病気による不安と疲労をかかえた状態で上のような医者を選ばない人はいないはずです。

 また、慢性疾患(高血圧・糖尿病など)や老人性疾患に対しては、病をかかえながらも患者さんと二人三脚でよりよい生活を目指すことになります。癌治療に対しても、いたずらな延命(きりのない医療提供)ではなく、いかに人生の最後を充実したものにするかという考え方を持つ人も増えつつあり、僕らはそれに対して応える義務があります。つまり、「患者さんの気持ちや生活環境を踏まえた上で病気に対してアプローチし、最善の生活を患者さんに送ってもらうおうと考える医者」が求められているのです。

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